イタリアのトスカーナやウンブリア地方は、関連する本や雑誌が世界中で出版され、多くの観光客が訪れる人気の観光地です。今回はこれら地域の地形地質と都市の関係についてご紹介します。
イタリアの田園地帯
イタリア中部のトスカーナやウンブリア地方は、のどかな田園風景、ルネサンス期の芸術作品、宗教寺院、そして中世以来の丘上都市など見どころが多い地域です。
また、イタリアのワイン格付けで最高ランクのDOPワインの産地もあり、おいしいワインもたっぷり楽しめます。ミラノやヴェネツィアといった大都会の喧騒を離れてゆったり過ごしたいという方には最適な旅行先でしょう。
今回はこの田園地方がどのように形成されたのか、地形地質の観点から紹介したいと思います。
プレート境界、イタリア
イタリアはご存知のとおり長靴の形をしています(図1)。中央にアペニン山脈がシチリア島から続き、ミラノのあるロンバルディア平原の南を通り、南フランスでアルプス山脈と合流します。
トスカーナやウンブリア地方は、この長靴半島の中央部でアペニン山脈の尾根筋が幾筋か並行して走っている辺りにあります。
このアペニン山脈ですが、そもそもどうしてこのような山脈があるのでしょうか?
実はイタリアは、ドイツやフランスなどがあるユーラシアプレートと地中海のある南側のアフリカプレートがぶつかり合うプレート境界に位置しています。
プレートテクトニクス※の考えによると多発する地震は異なるプレートのせめぎあいによって発生するとされ、こうした場所をプレート境界と呼びます。
※ 地震や火山や造山運動など、地球で起きる活動のメカニズムをプレートの動きから説明する理論
プレート境界ならではの4つの作用
プレート境界では、地震の他にもさまざま作用が起こります。
まず一つ目にプレート同士がぶつかることで、巨大な褶曲(しゅうきょく)が発生します。アルプス山脈はこのぶつかりによって生じた、言わば巨大な「しわ」です。アペニン山脈もこのぶつかりによってできた褶曲(=しわ)の一部です。そして、山脈の上昇に引っぱられる形で小高い丘も多数生じました。トスカーナ地方にはこうしてできた丘が延々と続いています。
二つ目に、片側のプレートが対峙するプレートに沈み込む動きもあります(図2)。このプレートの沈み込みにより地下ではマグマが発生し、地上では火山が生まれます。
イタリアはヨーロッパの中では異質で火山がたくさんありますが、それはプレートの沈み込みによる摩擦で高温となった地殻が溶けてマグマとなり、地上に噴出した結果火山となったためです(図3)。
三つ目の作用としては変成岩が生まれます。変成岩とは元々あった岩石が周りの熱や圧力の影響を受けて別種の岩石に変化したものです。
現在のイタリアを含む地中海は、およそ2億年前は超大陸パンゲアが分裂した中にあったテチス海という海の底でした。このテチス海があった場所は、当時の赤道が通っていました(図4)。イタリアの国土は大昔、暖かく浅い海底だったのです。
暖かく浅い海底にはサンゴ礁が生まれ、長い時代を経て石灰岩になります。この石灰岩が前述の二つ目のマグマの熱によって変成作用を受けたものが大理石です。
イタリアは大理石が豊富に採れる国です。私の手元にある石材のカタログで大理石の頁を見てみると、12種類の大理石のうち半数はイタリア産となっています(※1)。
実は日本のビルなどで使われている大理石の多くもイタリア産なのです。イタリアはルネサンスに代表される芸術の国で、大理石を使った彫刻も盛んです。プレート境界という地質的事情もイタリアの芸術を支えてきたと言えるかもしれません。
さらに四つ目として、火山に関係した岩石が多くみられるという特徴があります。大理石だけでなく、地中深くでマグマが固まってできた花崗岩や、海底火山の噴火で噴出した火山灰が岩石になった凝灰岩などです。こうした花崗岩や凝灰岩でできている丘も多くあり、これらの頂上や中腹には都市が築かれました。花崗岩や凝灰岩は人力で切り出すことが可能で、街をつくる石材に多用されてきたのです。
中世イタリアの丘上都市
世界的に人気を集めるイタリア中部の街の多くが山や丘の上にあります。丘からの眺めは実にすばらしく、多くの人が魅了されるのもわかります。
しかし不思議な気もします。なぜわざわざ高い場所に街をつくったのでしょう? これには眺望以外に大きく2つの理由があったようです。
まずは防衛目的です。敵対する勢力との戦争のため多くの丘の上の街は城壁に囲まれています。城壁は古代ローマ時代と中世のものがあります。古代ローマ時代は他部族から守るために築かれ、中世は各都市が自治権を主張し戦っていたために築かれました。1861年のイタリア王国の成立までイタリア全土の統一を待たなければならなかったのは、各都市の独立意識が強かったためとも言われています。
次に疫病対策があります。土地の低い場所は高い場所と比べると相対的に湿気がこもりやすくなります。そうした場所ではマラリアなどが発生したといいます。イタリア語の「悪い」mal、「空気」ariaというのがマラリア(malaria)の語源で、1880 年にラヴランが赤血球内に寄生するマラリア原虫を発見するまで空気感染する病気と考えられてきました(※2)。
また夏のイタリアは気温が高くて降水量が少ないため、気候的にも低地は快適な環境ではなかったようです。
ちなみに、最初に丘の上に街を築いたのはローマ人よりも昔からイタリアに住んでいたエトルリア人と呼ばれる人々でした。現代のウンブリア州の州都であるペルージャは、かつて日本人サッカー選手が在籍したチームのある街としても有名ですが、典型的なエトルリア様式の丘の上の街でもあります(写真3)。
中世の街並みと言えば、ドイツの木組みの家でできた街やイギリスの石造りの街など様々なものがありますが、このイタリアの丘上都市も非常に面白い街並みを見せています。現在のコロナ禍が収束し、世界の往来が自由になった日には是非とも訪れてみてはいかがでしょうか。
こぼれ話 : 地質学者としてのダ・ヴィンチ
「地質学(geologia)」という言葉が文献に初めて登場するのは1603年だそうですが、それよりもずっと早くから地質学に相当する概念を手記に残している人物がいます。イタリアの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452 ~ 1519)です。
彼は美術作品のみならず様々な分野で革新的なアイデアを残した天才ですが、地質学においても後の人々が学術的にまとめた概念を15世紀末に残しています。
・ 山は川の流れによって作られる。山は川の流れによって壊される。
・ 水は山をかいて谷をみたし、できれば地球を完全な球形に復原しようと欲しているのかもしれぬ。
・ 海底の浅い所は永久であるが、山々の峰は反対だ。さいごに大地は円くなり、すっかり水に覆われて棲息不可能になるだろう。(※3)
これらの言葉は現在の用語で言うなら「侵食の輪廻」(1884 年にアメリカのデーヴィスが提唱)や「海水準変動」(1888年にイギリスのエドアルド・ジュースが提唱)という概念に通じると言えるでしょう。レオナルドの自然観察力や洞察力には驚くばかりです。
ちなみに、レオナルド・ダ・ヴィンチを日本語訳すると「ヴィンチ村のレオナルドさん」となります。レオナルドの生まれたヴィンチ村も小さいですが典型的なイタリアの丘上の街です。
●参考文献
1) 全国建築石材工業会監修(2016)「原色石材大辞典」誠文堂新光社、p16〜40
2) 東京都感染症情報センターHPhttp://idsc.tokyo-eiken.go.jp/diseases/malaria/
3) 貝塚爽平(1977)「日本の地形-特質と由来-」、岩波新書、p137
4) 丸茂和博・クロスメディア編(1999)「イタリアの小さな田舎町」、双葉社、p28
5) 渡部雄吉(1990)「知の旅シリーズ イタリア古都紀行 悠久なる時の流れ」、株式会社クレオ、p88
技術士(応用理学部門:地質)
地盤品質判定士
2006年ジャパンホームシールド株式会社に入社、日本全国の住宅地盤の安全性評価業務に携わる。2011年より同社地盤技術研究所研究員、現在に至る。
趣味:気になる地形をバイクで見に行くこと。バイオリン。