2024 年にオリンピック・パラリンピックが開かれた都市・パリの人気観光名所と言えば、やはりエッフェル塔は外せないでしょう。
今回はオリンピックイヤーということで、このエッフェル塔とパリの地盤をテーマにお話しします。
写真1 エッフェル塔とシャン・ド・マルス公園、およびトロカデロ公園
エッ フ ェ ル塔の設計者
パリに建つエ ッ フェ ル塔の設計者は、ギュ スターブ・エッフェ ル(Gustave Eiffel)という人物で、塔ではなく鉄橋建設のプロフ ェ ッ ショナルでした。
ギュスターブ・エッフェルは、1832年にフランスのブルゴーニ ュ地方に生まれ、エ コール・サントラル・パリという超難関大学に入学します。彼は在学中に鉄道に興味を持ち、卒業後は鉄道建設の会社に就職して、鉄道橋設計のキャリアを積んでいくことになります。
その業績はフランスにとどまらず、エジプトや南米諸国、果てはフィリピンの教会の鉄骨を設計するまでになります。さらに、ニューヨークの自由の女神像の鉄骨構造を設計したのも、実はエ ッ フ ェ ルでした。そのため、エ ッ フ ェ ル塔を設計する頃には、 「橋づくりの天才」 「鉄の魔術師」などの異名を持つベ テラン技術者になっ ていました。
エ ッ フ ェ ル塔を支える地盤
1886年からエ ッ フ ェ ル塔の建設を開始しますが、当初はお世辞にも順調とは言えない作業の滑り出しだったようです。
まず、エ ッ フ ェ ル塔の建設場所の候補は、写真1にある現在の塔が建つシャン・ド・ マ スか、セーヌ川対岸のトロカデロのどちらかでした。はじめにトロカデロの地盤調査を行うと、大量の洞窟が見つかり、塔を建てるには不適切な地盤であることがわかりました。この洞窟については、後でお話します。
これにより、建設場所はシャン・ド・マルスに決定します。ところが、ここでも地盤に問題が発生します。エッフェ ル塔の4本の脚のうち、セーヌ川に面する2本の予定地は、地下水の影響を強く受けるセーヌ川の旧河道にあたる場所でした。つまり、軟弱地盤です。そこで、セーヌ川に面する側の脚はニューマチックケーソン工法という手法を使っ て大規模な基礎工事が行われました。
これは、図1のように、円筒形の構造物の中に圧搾空気を送り込みながら、構造物内で地盤を鉛直に掘り進んでいくという工法です。圧搾空気により、地下水や土砂の流入を防ぎながら、地盤を掘り進めることができるという、軟弱地盤の工事に適した工法です。エッフェルが鉄道橋の橋脚づくりでノウハウを蓄積した経験があればこそ採用された工法でした。
ただし、この工法は圧搾空気により、作業員の身体的負担が大きく、扱いが難しいものでもありました。しかし、何とか作業員をかき集め、25mの縦坑を掘り、セメントを流し込むことで、エッフェル塔の基礎を設置することができました。
パリの地盤
ヨーロッパの都市を支える地盤は、その多くが石灰岩でできています。パリも例外ではなく、図2のように、地上からおよそ20mの深度に石灰岩層があり、この地層によっ て、セーヌ川が上流で削り、パリまで運ばれ堆積した土砂を支えるという地質構造となっ ています。
エッフェル塔の基礎は、この石灰岩に達するまで25m掘削し、セメントを流し込んでつくられたので、塔の支持層はこの石灰岩層ということになります。この石灰岩は、中生代白亜紀(およそ1・45億年から6600万年前)に現在のヨーロ ッ パ地域がサンゴの生息する温暖な気候であった頃の名残です。
図3で、 パ リの地質構造を概観してみましょう。まず目につくのは、地層が大きく真ん中 へ 窪んでいることです。そして、外周は中央とは逆にせり上がって崖になっており、地下の地層が地表に露出しています。 このように、湾曲した硬岩と軟岩の地層が交互に現れ、緩い斜面と急崖で盆地を作る地形をケスタと言います。 パリは日本の地理の教科書でも取り上げられるほど、ケスタ地形の典型例として有名です。
このケスタ地形により、パリ中心部を流れるセーヌ川は、地表近くに堆積していた地層を侵食し、その下の石灰岩を地表から浅い位置にもたらす働きをしました。この地形地質現象の結果が、パリの街に奇妙な地下空間が伸びる原因となるのです。
石灰岩が使われているルーブル宮殿
穴だらけのパリ
カタコンブ・ド・パリ(地下墓地)
石灰岩は、古くから建築や彫刻に用いられた白い岩石です。ヨーロッパの建築物に石灰岩が多く使われている理由は、その岩石の見た目の美しさとともに、豊富に産出し、切り出しやすかった点が挙げられます。パリでも、ルーブル宮殿など大型の建設材料として石灰岩が切り出されました。ではその石灰岩はどこから切り出されたかというと、なんとパリの街の真下なのです。
エッフェル塔を建設するにあたり、トロカデロを地盤調査したところ洞窟だらけだったことをお話ししましたが、これら洞窟は、地下から石灰岩を切り出した跡だったのです。パリ都市圏は200万人超の人口規模ですが、こうした巨大な都市の中心市街地の地下が空洞だらけというのも珍しい話です。
洞窟が一体どれくらいの長さになるかは、正確には把握されていません。そんなところに一般人が勝手に入ろうものなら、迷子になり出られなくなりますし、それに対する捜索活動も困難を極めます。そのため、ほとんどの洞窟は立ち入り禁止とされ、勝手に入ると罰金刑が科されます。
しかし、近代以降のパリは都市圏が広がり、墓地の確保が困難になっ てきたため、なんとこの洞窟が、写真のような墓場(納骨堂)として利用されています。それだけにとどまらず、この地下墓地(カタコ ンブ・ド・パリ)は骸骨だらけの観光名所(!)となっ ているのです。おどろおどろしい物が好きな方はパリに行かれた際は、エ ッ フ ェル塔とともに、訪れてみてはいかがでしょうか。
こぼれ話 パリ万 博で 太 陽 の 塔?
1889年にエッフェル塔が建ったパリ万博ですが、最初の建設計画では「太陽の塔」が予定されていた、と言ったらどう思いますか?
昭和を知る日本人なら、「『太陽の塔』といえば1970年大阪万博の塔では?」と思うのではないでしょうか。ですが、エッフェル塔の案が出る前は、右図のような「太陽の塔」という名前の、しかも石造りの塔が候補として挙がっていたのです。
しかし、パリの地下は穴だらけで、重い石材を使った高さ366mの塔は、その重量や風圧に対する構造上の問題から、計画当初は派手に宣伝されたものの、コンペでエッフェル塔に敗れ、幻に終わったのでした。
技術士(応用理学部門:地質)
地盤品質判定士
2006年ジャパンホームシールド株式会社に入社、日本全国の住宅地盤の安全性評価業務に携わる。2011年より同社地盤技術研究所研究員、現在に至る。
趣味:気になる地形をバイクで見に行くこと。バイオリン。